汎アジア映画祭(準備会)七月度定例会

講座二〇世紀之大衆藝能 2015[番外]
汎アジア映画祭(準備会)七月度定例会
VOL.2 越境するアジア的身体
上映「アジアはひとつ」(1973/96分/16mm)NDU作品
沖縄本島、先島列島、西表炭坑を経て国境を流浪する台湾人労働者を追いかけ八重山群島から台湾へ。最後に「大和魂」が残るタイヤル族の部落に辿り着く……。
アジア近現代史の基底で台湾ー琉球孤・国境線をを自由にかい潜り自在に往来する越境者たちの逞しい姿を鮮やかに描いた記録映画。たかだか一時間半の一片のフィルムが歴史改竄のデマゴギー、現在「安保法制」の虚妄を鋭く射抜き、したたかに打つ! 必見のドキュメンタリ。
口演:井上修(映像作家/NDU)
2015年7月3日(金曜日)19:00-
高円寺円盤 TEL/FAX 03-5306-2937
杉並区高円寺南3-59-11五麟館ビル2F
JR「高円寺駅」南口を出て右(三鷹方面)線路沿い真っ直。大将2号店を過ぎて漢方薬屋の隣。
1500円(1ドリンク付)
※本会は原則として奇数月第一金曜日に開催してまいります。
汎アジア映画祭(準備会)ー越境するアジア的身体
わたしたちのささやかな幻視行「汎アジア映画祭(準備会)」2009年沖縄上映会以来、実に六年振りの再開となります。なんとも時代の速度にそぐわぬ悠々たる展開。最早言い訳の言葉も見つかりません。これも偏に時の流れに身をまかせるアジア的時間とご理解の程を。さて、わたしたちは2009年にこう綴りました。
[「記憶映画」の可能性 あらたな協同作業のはじめに]
1972年「沖縄本土復帰」の前後、基地の町コザを拠点に激動の「世替わりー」を凝視しつづけたドキュメンタリー集団、NDUの初期映像作品の上映をとおして。いま、オキナワを起点にした「アジア映画」のもうひとつの可能性を探ること。さらに、わたしたちの身体の底の底てふかくねむりつづける記憶の堆積を抉り出し、わたしたちの身体的欲求の方に映像に定着させること。そして、個別の歴史体験を克明に記録することによって不可視の「世界記憶」へと到る道筋を訪ねあてること。いま・ここに・いることを歩き・見据え・考えるほうへとずらしながら「旅する映画」に作風を変えてゆきたい。風狂の謡人のうたえる、ヒヤミカチ節の一節。「我んや虎でむぬ、羽根ちきて給ぼり 波路バシフィック渡てみゃびら」そう、わたしたちがほしいものは想像力の翼。四海を自在に越境し往復できるイメージの跳躍力。さあ、いまこそ、身体というスクリーンに記憶のフィルムを映し出す「記憶映画」の創出を目指して協同作業を開始しようではありませんか!
……やたらと心悸亢進した拙き文章は「イキっぱなし」でいま読むと気恥ずかしいですが、当時と想いは些かも変わりません。現在もわたしたちは旧作上映を通して眼前に横たわる苦海を自在に越境するイメージの跳躍力と胆力を鍛え、拓かれたアジア、世界への逃散の間隙を窺っています。前回の『モトシンカカランヌー』に続き、第二弾は同じくNDU作品。琉球―台湾を自由に往来する越境者たちの記録『アジアを一つ』を上映します。共に考え語らい、いまを生きていきましょう。
NDU =日本ドキュメンタリストユニオン
1968年、60年代前期学生運動の低迷期を体験した者たちが結集し、68年国際反戦デーに向けた反戦青年委員会の運動を記録した16mmドキュメンタリー「鬼っ子 戦う青年労働者の記録」を製作、NDUが発足した。しかしその中で、多くの反戦運動が日本の戦後から取り残された沖縄の矛盾への戦いに対し―――69年2.4全島ゼネストが提起されたにも拘らずだ―――抑圧こそすれ呼応しないという現実に直面。1970年、復帰前の沖縄コザ市照屋に長期滞在して「沖縄エロス外伝 モトシンカカランヌー」を製作し世に問う。1971年には、「唯一被爆国」との神話を金科玉条とする「戦後日本の平和運動」の欺瞞を打破せんと韓国へ渡り「倭奴(うえのむ)へ 在韓被爆者 無告の26年」を製作することで「国境」への確執を更に深めていく。1972年には引き続き、琉球弧の島々と海を捉えて台湾山地にまで踏み入る。そこで「大東亜共栄圏の生霊」かの「高砂族」に遭遇。総力戦覚悟で「アジアはひとつ」を残し解体。 そして32年を経た2002年靖国神社で、誇りを込めて自らを呼称する「台湾原住民」に邂逅し、NDUは東アジアの新たな地平へと出立した――
by masaru0801
| 2015-06-24 16:54
